御嶽山救助活動
「長野県と岐阜県にまたがる御嶽山が噴火しました。」
前日の仕事が明け、自宅でテレビをつけると速報のテロップが流れていた。
ニュースチャンネルを確認すると、負傷者が複数名いること、火山活動が活発化し
噴火が頻発しそうだとの内容が伝えられていた。
夕方になり、さらに詳しい状況が明らかになり、数十人の負傷者と心肺停止状態の方がいると
報道され、私は被害者がこれ以上多くならなければいいと願っていた。
夜になっても絶え間なく流れるニュース。
しかし、新しい情報はなく遠く離れている私でさえ、現場の混乱がうかがえた。
※噴煙を上げる御嶽山
夜も更け間もなく夜11時になろうとしていたとき、消防本部から
『長野県御嶽山噴火に伴う緊急消防援助隊の出場要請がありました。出場態勢を整え八ヶ
岳PAに午前1時に集合せよ。とのことです。特別救助隊員は直ちに準備し消防本部に集合
してください。』
との内容でメールがあった。
私は峡南消防本部特別救助隊に隊長として所属しており、すぐさま準備に取り掛かる。
『標高3000メートル』
山岳での救助活動。
平地での救助活動とは比較にならない困難があるだろう…
しかも、噴火活動を続けている山からの人命救助活動など聞いたことも無い
今回の救助活動は予想もつかない程困難になると感じながら、少ない時間で
非常食になりそうな物と、山岳救助に役立ちそうな登山用具をリュックに雑然と詰め込んだ。
娘はすでに就寝しており言葉を交わすことなく、その寝顔を横目に妻に出かける旨を伝え
足早に消防本部に向かった。
消防本部に到着すると、夜勤中の職員がすでに救助資機材や野営に必要なテント等
出場に必要な準備を進めていた。
現場に出場する隊員だけでなく、全職員が『被害者を救いたい』と同じ思いでいることを
実感し、胸が熱くなった。
※野営のテント
山梨県隊集結場所の八ヶ岳PAに到着し、県内の他消防本部の隊員と合流
長野県に向け出発した。
休むことなく車を走らせる。まだ、夜も明けきらない午前5時頃、御嶽山の麓に到着すると
一息つくこともなく山梨県隊中隊長会議が開かれた。
『進出拠点の御嶽ロープウェイまでは車両移動で1時間かかる』
『御嶽ロープウェイ登山口から御嶽山山頂まで徒歩で4時間以上かかる』
『不明者33名、負傷者13名の合計46名が山頂に取り残されている』
『山頂は腰の高さまで灰が積もっているため活動障害になる』
『山頂は亜硫酸ガスが発生しているため危険区域は防毒マスク又は空気呼吸器の着装が必要』
など、厳しい情報が伝えられた。
※状況を伝えられる緊急援助隊
夜明けとともに、峡南消防本部特別救助隊を含めた山梨県隊全隊が徒歩で登山を開始する
登山道は硫黄臭が漂い、6合目付近では足元はもちろん、立木の葉の上にも灰が積もっていた。
※灰がついた葉
※徒歩で頂上へ向かう隊員達
8合目を通過し標高も2500mを超える森林限界付近。地面の灰の量も徐々に増え
10cmほどになる…。
ここまで来ると一面灰色の世界が広がりこの世の風景とは思えない。
※灰の上を歩く隊員達
そんな中を、要救助者のいる頂上を目指し登山道を歩く。
火山性微動の小刻みな揺れが身体に感じられ、火山活動は変わらず活発で
さらに、吹く風が灰を舞い上げ、山頂を目指す我々の視野と呼吸を遮る。
そんな過酷な中、山梨県隊の先頭として我が隊は登山し山頂付近にいち早く到着する。
日頃の訓練の成果を実感すると共に、この隊の隊長でいられることを誇らしく感じた。
すでに先着していた、自衛隊に状況を確認し、山頂剣ヶ峰付近に負傷者7名と
心肺停止患者2名が居るとの情報を得て、隊員に向けてその指示を伝えた。
ふと、山頂を見上げると、空に噴煙が大きく立ち上り
覆いかぶさってくるような錯覚に襲われる。
この状況に足がすくみ恐怖感が全身を襲った。
私の指示を聞いている隊員の表情も、いつ噴火するかもわからない危険な場所に
自らの命を懸けて行かなければならない恐怖を感じていることが伝わってきた。
※目の前で噴煙が上がっている中頂上を目指す隊員
幼い子供を持つ隊員を連れていくことに迷いがなかったわけではない。
私自身も家族の顔が頭に浮かんだ、しかし、救助隊員としての使命を果たすために
この場に来ていることを自分に言い聞かせ、自らを鼓舞するかのように隊員全員に
「行くぞ!!」 と、声を掛ける。
覚悟を決めた隊員たちの表情は一変し、いつもの頼もしい精悍な顔つきに変わっていた。
※頂上付近の風景
御嶽山山頂まで30m付近に到着すると、遠くでライトを点滅し救助を求める
負傷者を発見した。
負傷者のところまで距離があり、周囲の捜索を継続しながら救出に向かう。
救出に向かいながら、山頂直下の法面で何かが灰に埋もれているのが確認できた。
注意深く観察していなければ見過ごしてしまいそうだが、手が届く位置まで接近して
はじめて、それが負傷者であると認識できるほどであった…。
その負傷者は性別すらわからず、服装から辛うじて女性であることが予想できた。
「大丈夫ですか?分かりますか?」
声をかけるが返事は無く、呼吸も脈拍も感じられない。
無念な思いで、心の中で手を合わせ、生存者の救助に向かった。
現場は降り積もった灰が、生コンクリートの様にドロドロになって靴にまとわりつくため
動きがかなり制限される。
さらに、空気が薄いうえに、粉塵対策のマスクもしているため活動の障害となっていた。
日ごろ鍛えられている隊員も、さすがに疲労の色が見えはじめる。
ようやく、岩陰に横たわりながら、合図を出していた男性1名のところに到着した。
※ドロドロになった灰
※泥になった灰が隊員の靴にまとわりついている
負傷者の意識ははっきりしていたが、頭部を岩石から守ったと思われる両手首は骨折している。
声をかけると、小さな声で全身の痛みと、のどの渇きを訴えた。
持参した飲料水をゆっくり口に運ぶと、小さくうなずきながら助かった喜びを
噛み締めているようであった。
他の救助隊並びに自衛隊と合流し、合同での救出活動により、この男性の救出が完了した。
再度、登頂し救助に向かおうとしたが、火山ガスの発生により捜索活動の中止が決定し
下山を余儀なくされ初日の活動は終わった…。
※天候が悪化し視界が悪くなっている
峡南消防本部では救助隊18隊、後方支援合わせ延べ288名の隊員が
この御嶽山の救助に携わった。
また、現場に出場しない職員は、休みなど関係なく管轄地域で活動し、少ない人数で
峡南地域を守っていた。
消防本部全職員の協力があってこの救助活動が行えたと実感している。
捜索活動から2週間が経過し、発災当初は紅葉が始まったばかりの山々が、今では山全体が
赤く染まり、霜が降るまでになっている。
今後は雪解けを待ち、春になって捜索が再開される予定である。
未だに6名が助けを求めて山頂にいること。
そして、その不明者となった方達の帰りを待つ家族がいることを考えると
いたたまれない気持ちでいっぱいである。
私は、一日も早く全員が家族の元へ帰れることを願っている。
2014年 10月 救助隊 隊長 渡邉 亨
※写真中央が渡邉亨隊長