特集「風林火山の夢の後先」



甲斐源氏と武田信玄公ゆかりの地を訪ねる・・・。

  ◆甲斐源氏から武田氏へ続いた歴史はここから始まった

〜戦国時代「風林火山」の理念のもと、天下統一を目指した甲斐の名将・武田信玄。
 その祖先は、平安時代の清和天皇から血筋をひく甲斐源氏一族です。
 富士川地域には、この甲斐源氏が活躍し、武田信玄の時代の駿河侵攻や、
 西方進出をうかがった歴史を背景に、多くの遺跡やゆかりの地が残ります。〜


甲斐源氏発祥の地

源義清・清光親子が甲斐国に移り、最初に館を築いた地、
それが、市川三郷町にある「平塩の岡」。
甲斐源氏発祥の地として知られています。
ここから、甲斐各地へと源氏勢力が拡大していきました。
記念碑が建つこの場所は、甲府盆地や八ヶ岳が見渡せる
絶景スポットの1つでもあります。
ぜひこの地で、甲斐源氏の歴史を感じてみませんか。

問合せ先:055-240-4157(市川三郷町役場産業振興課)
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熊野神社

源義清が甲斐国に移り、平塩に館を構えた際、
守護神として祀ったのが始まりといわれています。
その後、平塩地内の諸神を集め祀ったとも言われています。
本殿は、一間社流造(正面の柱が2本)で、
江戸時代末期までに建立されたと推測されています。
屋根は、向拝軒唐破風で、檜皮葺(檜の樹皮を使った工法)・総欅造りです。
本殿自体はそれほど大きくはありませんが、各所の装飾がとても見事で、
町指定の文化財となっています。
また、境内には大クヌギがあり、町の天然記念物に指定されています。

問合せ先:055-240-4157(市川三郷町役場産業振興課)
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一条忠頼史跡

源清光の子信義(甲斐武田氏の始祖)は、頼朝政権成立に貢献し駿河守を命じられました。
その長男一条忠頼も軍功をあげましたが、頼朝より謀反の疑いで暗殺されてしまいます。
悲運の武将の墓とされる碑が増穂町に残っています。

問合せ先:0556-22-7202(富士川町役場商工観光課)
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富士川地域を領地とした南部氏

〜源清光の三男(加賀美)遠光も、平家追討の際富士川の合戦などで功績を上げ、
 甲斐国の中で大きな勢力を持っていました。
 南部氏はその三男、光行が南部に住し、南部氏を称したのが始まりです。
 南部光行は、頼朝の奥州藤原氏征伐に従ったのを機に奥州に移り、
 奥州南部氏の祖となりました。
 富士川地域には、光行の子、実長が残り、波木井氏を称して、
 日蓮聖人を身延山に招き外護するなど、仏法に深く帰依しました。〜


浄光寺

南部氏一族の墓石群、供養塔があるお寺。
建物が、慶長16(1611)年に全焼してしまったため、創立年代ははっきりと分かっていません。
中国から1246年に日本へ来た僧、大覚禅師が開山したという記録が残されており、
禅師が甲斐の国に来た文永9(1272)年、建治3(1277)年頃の建立と推測されています。

問合せ先:0556-64-3111(南部町役場産業振興課)
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妙浄寺

南部氏が河内領を治めていた時代、菩提寺としていたお寺です。
南部氏の家紋に鶴が使われているように、
ここ妙浄寺の寺紋にも鶴が使われています。
もとは、真言宗のお寺でしたが、日蓮が身延へ入山する際に、
このお寺に泊まったことがきっかけとなり、日蓮宗に改宗したと言われています。
本堂の裏手には、かつて八幡神社が建っていましたが、
南部実光が奥州へ赴く際、三戸に御神体を移したと言われています。
妙浄寺境内には、「花釣瓶の井」という小さな井戸があります。
これは、日蓮がこの井戸の釣瓶に花を挿して祈ったところ、
村人の病が治った、という言い伝えから名づけられたと言われています。

問合せ先:0556-64-3111(南部町役場産業振興課)
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甲斐源氏の始祖新羅三郎義光公開基の寺

大聖寺

源義清の父、源(新羅三郎)義光は朝廷より甲斐守に任ぜられていました。
この義光によって1105年に開基された古刹です。
義光からは曾孫にあたる加賀美遠光が朝廷を守護した功績を讃えられ、高倉天皇より与えられた不動明王坐像は空海の作と言われ、国の重要文化財になっています。
先祖ゆかりのこの寺を武田信玄も厚く信仰しました。甲斐源氏の起こりから、武田信玄の時代とその後の歴史を見守りつづけてきた寺には他にも甲斐源氏、武田氏ゆかりの宝物が多く所蔵されています。

問合せ先:0556-62-1116(身延町役場観光課)
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中世戦国金山の夢の跡、今に残る

湯之奥金山博物館

武田氏を支えていた甲州金。毛無山中腹にはこの湯之奥金山の遺跡が残ります。
下部温泉郷にある湯之奥金山博物館では、戦国金山の歴史を紹介しています。

問合せ先:0556-36-0015(湯之奥金山博物館)
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画像準備中

武田信玄が、立寄った事を記す石碑があり、信玄の弟・信綱が描いたとされる
「武田不動明王像絵図」などの寺宝が残ります。

問合せ先:0556-22-7202(富士川町役場商工観光課)
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円蔵院

穴山信友が菩提寺とするために、甲府長禅寺の桂岩和尚を招き開山したお寺。
穴山氏は、南部氏の後、この河内領(現在の西八代・南巨摩辺り)を治めていた人物です。
寺には県指定の文化財である、絹本著色穴山信友画像や絹本著色涅槃図が保管されています。信友の墓も境内に残されています。
火事により当時の建物はほとんど消失してしまい、当時のまま残っているのは土塀と2つの門のみです。
穴山氏断絶後は、徳川家によって守られ、江戸時代になると、歴代将軍から朱印状を与えられ、守られてきたと言います。
境内にある池のジュンサイは県内でここにしか生息しておらず、その他、敷地内に生える
カギガタアオイやリンボク、コシダ、ウラジロ、シイの群落とともに、県の自然記念物に指定されています。

問合せ先:0556-64-3111(南部町役場産業振興課)
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南松院

武田信玄の姉に当たり、穴山梅雪の母である南松院の菩提寺。
南松院画像や穴山氏に関する文書が残ります。

問合せ先:0556-62-1116(身延町役場観光課)
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享禄三年(一五三〇)に穴山信綱公が創建した寺院です。
本尊は十一面観世音菩薩で、身延町の指定文化財になっています。
胎内には千三百年前の光明皇后のものとされる襟掛の舎利と頭髪が秘蔵されています。
「下山大工」と呼ばれる職人集団が造った建造物で、見応えがあります。

問合せ先:0556-62-1116(身延町役場観光課)
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